【読書感想】ムゲンのi

こちらは知念実希人さん著作の2020年本屋大賞第8位の作品です。ジャンルで言えばサイエンスミステリーでしょうか。最初はファンタジー要素が強いように思いますが、読み進めていくうちに、段々とミステリー色が強くなってきます。上下巻でかなりの大作になっていますが、その世界観に没入出来る方なら一気読みも可能でしょう。前回ご紹介した本屋大賞受賞の「流浪の月」が実写の映画やテレビドラマ向きなら、こちらはむしろアニメーションに向いているのではないかと思います。

あらすじ

眠りから醒めない〈特発性嗜眠症候群イレス〉という難病の患者を3人も同時に抱え、神経内科医の識名愛衣は戸惑っていた。霊能力者である祖母の助言により、患者を目醒めさせるには、魂の救済〈マブイグミ〉をするしか方法はないと知る。
愛衣は祖母から受け継いだ力を使って患者の夢の世界に飛び込み、魂の分身〈うさぎ猫のククル〉と一緒にマブイグミに挑む。
次々とマブイグミを成功させる愛衣は、次第に、患者のトラウマが都内西部で頻発する猟奇殺人と関係があることに気づく。しかも、その事件は23年前の少年Xによる通り魔殺人とも繫がっていた。
愛衣は難事件の真相究明に立ち向かう。

ー双葉社 ムゲンのi公式ページより ー

感想

この小説はあまり余計な知識を入れずに読んだほうがいいと思いますが、土台となっているのが琉球に伝わるマブイという概念。これはいわゆる「魂」で、祖母のユタの能力を受け継いでいる主人公の愛衣が、担当するイレス患者の治療に施すのが、琉球語(沖縄語)で『まぶいぐみ』(魂込めと訳される)魂を元に戻す方法です。ユタというのは東北地方のイタコと似たような沖縄地方の霊媒師。物語に出てくる『ククル』というのは同じく沖縄語で「心」を意味する言葉です。

内容に言及するとほぼネタバレになってしまうので、構成についての感想に留めます。主人公愛衣がまぶいぐみを行う際に、イレスから回復させるためには傷ついた患者のククルを救わなければなりません。そのククルは心の奥底に隠れているので、そこに辿り着くまでが第一段階、そしてククルを発見してその傷を癒やすのが第二段階と二段構えになっています。第一段階の世界は患者が作り出した想念(夢、夢幻)の世界であり、そこからククルが抱える傷の世界は過去の実体験です。ですので最初の世界観は何でもありなんですが、ククルを救う段階では患者が見た世界をフラッシュバックのように見ることになります。これはテレビ朝日系列の杉咲花さん主演のドラマで「ハケン占い師アタル」というのがあったのですが、それをご覧になっている方は想像しやすいのではないかと思います。

先程のドラマの場合は毎回相手役が一人で、その伏線を時間の半分近くを使って表現しているので、杉咲花が決め台詞を言うまでにそれほどの時間は要しないのですが、こちらは初めてお会いする方々ばかりですから、その人となりから説明しなくてはなりません。さらにユタとしても初心者の愛衣は魂の分身であるククルにアドバイスを受けながらマブイグミをするのですが、その説明も必要です。そして治療すべき患者が3人もいるために、全体が非常に冗長になってしまっています。

夢の世界でも、マブイグミの困難さやその幻想的な世界を描くためには必要なのでしょうが、愛衣とともに戦うククルの回りくどい説明や情景描写が、いささか煩わしく思えます。最初に書いたようにその世界観に没頭出来る方なら問題ないでしょうが、そうでない人には下巻に辿り着くまでに苦痛も伴うでしょう。当然のことながら話の山場は下巻になりますので、上巻だけでは意味をなしません。物語ではククルをウサギ猫と呼んでいますが、私のイメージするウサギ猫はポケモンのピカチュウみたいな感じだし、夢幻の世界は感覚的にはセーラームーンのような印象すら受けるので、私のようなおじさん向きかと言われると少々難しいかと思います。

それとこれは中古本を買った方や図書館で借りた人は気になると思いますが、マブイグミを行う中で、記憶の最後の部分がところどころ不鮮明になる箇所があり、そこが黒塗りされています。どこかのお役所のように太塗りの油性マーカーで全部を塗りつぶした感じではなくて、ボールペンでぐちゃぐちゃと書き消したような感じになってます。よく見るとその筆致というか消し方が同じなので印刷だとわかるのですが、もしかしたら前の所有者や前に借りた人がイタズラで塗りつぶしたのではないかという誤解を生むかもしれません。

ミステリーとしてどうなのかと言われると、最初からこういうことだと理解して読み進めれば、ああそうなんだと納得出来る部分はありますが、私は読了後に少々わだかまりが残りました。それでも一気読みしたので、作者の筆力は相当なものだと思いますし、作品自体の面白さももちろんあります。ただ、こういう結末ならば、はたして全体をここまで膨らませる必要性があったのかとも思います。その筆力がむしろ仇となって、読了後の爽快感が徒労感にすりかわったと言ってもいいくらいです。これを上下巻の二冊ではなくて一冊に纏められていれば、本屋大賞でももっと上位になっていたのではないかと思わせる佳作でした。

追記 文字の塗りつぶしについて

近頃このブログで一番読まれているのがこの記事なんですが、その検索語句の殆どが、「ムゲンのi 文字塗りつぶし」、や「ムゲンのi 塗りつぶし」または「黒塗り」です。

私がこれまで読んできた本の中で、わざとこういう表現をした書物はあまり見た記憶が無いので、多くの人が戸惑っただろうと思います。最近は、特にメルカリ等のフリマアプリで中古本を手に入れる方も多いでしょうから、例えばそこに「多少の傷あり」などの表記があった場合に、どの程度の傷なのか気になる方も多いと思います。そうすると一度全部のページをパラパラとめくって確かめたりすると思いますが、その途中で何箇所か出てくるこの黒塗りの部分はとても目立つでしょうね。

こうした消しの手法を用いた理由のおそらくは、たんに記憶が曖昧という意味ではなくて、なんらかの強い力が働いて記憶が見えづらくなっているということを、敢えて意味する表現方法なのではないかと思います。しかし、残念ながらそのことが、作品そのものの足を引っ張る結果になっているのではないかと危惧します。私がそうだったのですが、最初にその部分が目に入ってしまうと、もしかしたら誰かのイタズラか嫌がらせじゃないかと邪推し、他にもされている箇所がないかとそのことばかりが気になってしまい、とても嫌な気分になりました。本は最初から順繰りに読むものだと言われればそうなんですが、どう読むかはその人の自由でもありますので。

きっと、記憶が曖昧で思い出せないということであれば、「・・・・・・・が、・・・・・・・・で」のような表記で良かったのでしょうけれど、この辺が文章で全て表現しないとならない小説の限界でもあるのでしょう。何ページの何行目から何行目は印刷で、いたずら書きではありませんと注記するのも変な話ですし、それ自体が一種のネタバレにもなってしまうでしょう。これが映像であれば、モザイクやボカシをうまく使って、もっと簡単に表現できたのでしょうけどね。

いずれにしろ、そのことでこの作品の評価が落ちてしまうのはもったいないと思いますので、これから読まれる方は、決して売った人や、前に読んだ人のイタズラや嫌がらせではないと安心して読んでもらえたらと思います。

 

ムゲンのi(上)
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ムゲンのi(下)
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