第165回(2021年度上半期)直木三十五賞受賞、澤田瞳子さん著作の歴史小説です。作者の澤田瞳子さんは、昨年第163回の直木賞にも、「能楽ものがたり 稚児桜」でノミネートされていましたね。
あらすじ
鬼才・河鍋暁斎を父に持った娘・暁翠の数奇な人生とは――。
父の影に翻弄され、激動の時代を生き抜いた女絵師の一代記。不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。残された娘のとよ(暁翠)に対し、腹違いの兄・周三郎は事あるごとに難癖をつけてくる。早くから養子に出されたことを逆恨みしているのかもしれない。
暁斎の死によって、これまで河鍋家の中で辛うじて保たれていた均衡が崩れた。兄はもとより、弟の記六は根無し草のような生活にどっぷりつかり頼りなく、妹のきくは病弱で長くは生きられそうもない。
河鍋一門の行末はとよの双肩にかかっっているのだった――。
読書感想
本書は画鬼とも呼ばれた不世出の絵師、河鍋暁斎の娘、河鍋暁翠を主人公に書かれた物語です。天才の血を引くがゆえに高まる暁斎の弟子たちのからの期待、腹違いの兄が持つ絵の才能への嫉妬、河鍋家の生き証人としての責務、あるいは新たに入ってきた西洋美術の台頭など、諸々の事情に懊悩しながらも、その時代を力強く生き抜いた河鍋暁翠(とよ)の半生を描いています。
私は絵心が無いため、暁翠の父親である河鍋暁斎のことも全く知りませんでした。作中に暁斎を狩野派に分類するべきか否かみたいな論争もありましたが、それについてもどういうものが狩野派と呼べるのかよくわかりませんし、浮世絵についても喜多川歌麿とか葛飾北斎の名前くらいしかわからない門外漢ですので、暁翠の絵師としての葛藤や苦悩は、正直そうなのだろうなという想像の域を出ません。
いわゆる二世として、親の道を子が踏襲するということはよくありますが、歌舞伎などの特殊な世界を除けば、今は殆どその子供がそれを望んだ場合に限られるのではないでしょうか。もちろん時代的な背景もあるでしょうから、絵師の子供が絵師になるというのは、特段珍しいことではないのかとも思います。
そうした中で絶えず父親の狂気とも言える絵に対するこだわりや、父親が絵に没頭するあまり家庭を顧みないのが当たり前の生活で、自分が女であることのハンデを背負いながらも、どうしても父親と比べざるを得ない絵の才能など、本書では主人公の苦悶が繰り返し演出されます。
実際には、その時代に大学で教鞭をとったりしているわけですから、必ずしも父親や兄との因果や軋轢の中だけで生きたわけではないと思いますが、この物語では、むしろ家族や夫婦、男女の関係、あるいは家族愛にフォーカスした描写が多いように思います。もちろん、それほどあざとくしつこい描写があるわけではありません。むしろ、その辺りはさらりと流している感じなので、より主人公の煩悶が際立っています。
気になった点としては、多少ネタバレになりますが、関東大震災の話の中で、とよが無事に根岸の自宅に帰った時に、出迎えた娘のよしが、
「よ、よかったッ。品川は全滅だって聞いたから、あたし、あたし、もうおママちゃんに会えないものだとッ」
というセリフがあるんですが、別にどうして「っ」がカタカナの「ッ」なんだ?とか言うことではありません。震災にあった時にとよが元々出かけていったのは神田で、出かけるときにも「昼までには戻ると思うけど」と言っています。もっとも電車に乗ってしまえば、今よりも多少時間がかかったとしても上野から神田と品川では、20分くらいの時間差でしかないでしょう。ただ、品川へはその時の流れで急遽行くことになったのですから、どうして娘のよしはとよが品川にいたことを知っているのだろうというのは、ふと疑問に思いました。むしろ神田が火の海で品川から根岸までまっすぐ帰れずに、今で言う山手線を反対周りに帰ってきたのですから、ここはむしろ品川ではなく神田にした方が良かったのではないかと思いました。
もっともこれはちょっとした揚げ足取りであしかありませんので、それによって本書の良さが失われるわけではありません。非常に読み応えのある、私のような門外漢にもお勧めできる直木賞に相応しい秀作だろうと思います。
コメント