第168回(2022下半期)直木賞、第13回山田風太郎賞を受賞した小川哲さん原作の小説です。奥付によると、著者の小川哲(おがわさとし)さんは、1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学後、2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞しています。
あらすじ
「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」
日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。ひとつの都市が現われ、そして消えた。
日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。
読書感想
内容以前にまず目につくのが本の厚みです。600ページを超える長編ですので、その装丁で威圧されます。家で読む分にはいいですが、外に持ち出して電車の中で立ったまま読むには厳しい大きさと重さです。ボリューム的には出来れば上下2巻に分けて欲しかったですが、これは戦略上こうしたのでしょう。
序章を読んだときはハードボイルド展開になるのかと想像したのですが、いい意味で裏切られました。ただ、個人的にはこの序章の謎(どうして細川は大丈夫だったのか)が最後まで回収されないまま終わっているような気がします。しかしながら物語の途中で細川本人がそのことに言及している部分はあって、その時特に掘り下げていないので、私が読み飛ばしていなければ、それは特に謎というわけではなくて、細川が戦略家で交渉や知恵に長けた人間であるということを描写したかったのかも知れません。
登場人物はそれほど多くないのですが、章ごとの場面転換でそれぞれの登場人物の話に変わっていくのと、年と季節で章が変わっているので、はじめの頃は連作短編になっているのかなと思いながら読んでいました。上下巻に分けなかったのも、そうした構成から、分けると上巻だけで満足してしまう読者がいると思ったからかもしれません。
また、舞台が日露戦争から第二次世界大戦にかけての満州なので、戦争小説かなとも思いますが、戦争よりも紛争、また戦争そのものよりもその時代に生きた人達の内面や思想に多く焦点をあてています。その分描写も穏やかで、血腥い戦闘シーンなどはそれほどありません。
半世紀に渡る物語ですので、上のあらすじは主に前半部分で、他に中国人女性や登場人物の息子なども出てきます。その章ごとに主役となる人物はいて、特に誰が主人公かというのはありません。各章ごとに主人公が入れ替わるようなスタイルです。タイトルになっている「地図と拳」の「地図」は国家を指し、また拳は戦争のことを指します。文中では建築もまた国家であるというような表現も使われていましたが、戦争と平和、創造と破壊、そういったものの比喩になっているのでしょう。
いつの時代も戦争が恨みや憎しみ以外、何も生み出さないというのは今のロシアの侵攻を見ているとよくわかります。おそらく当時満州にいた日本人たちも同じような目で見られていたのかもしれません。
日露戦争から第二次大戦にかけて日本における満州という国家の位置づけや、太平洋戦争へと繋がる過程、机上では必ず負けるとわかっている戦争へと踏み切らざるをえなかった過程がわかるようになっています。章ごとに物語と言うか、ひとつの区切りがありますので、長編ながら読破するのもそれほど苦になりません。
最後の方で中国人女性との関わりは、どうしてそこまで親しくなったのか多少疑問に思うところも無くはないのですが、作品の中では些末な問題なのでしょう。
非常に重厚感のある直木賞受賞作品らしい物語でした。
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