【読書紹介】久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった

現在財務省事務次官のセクハラ問題で揺れているテレビ朝日ですが、ニュースステーションが始まったのは1985年(昭和60年)の10月7日。六本木のテレビ朝日アーク放送センターから中継が始まりましたが、その頃植えられた桜が立派な桜並木に成長して、今では東京の桜の名所となっています。

最近はテレビ画面でその姿をお見かけすることもすっかり減りましたが、久米宏さんで思い出すのは、ぴったしカンカンの「ホニャララ」や黒柳徹子さんと絶妙なコンビで今や伝説となった歌番組「ザ・ベストテン」、破天荒な漫才師だった亡き横山やすしさんの魅力を存分に引き出した「TVスクランブル」であり、そして今やテレビ朝日の夜の顔とも言えるプライムタイム10時台のニュース番組の先駆け「ニュースステーション」ですが、今日ご紹介する本書は、そんな久米宏さんの半生を綴った自叙伝「久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった 」です。

ぴったしカンカンの頃から久米宏さんの活躍を知っている方は、おそらく私と同年代だろうと思います。当時はちょうどレギュラーだったコント55号の欽ちゃんがテレビで「欽ドン!」を始めた頃でしたが、笑いの世界でも芸能界でも既に大ベテランの大御所でしたから、そんな欽ちゃんとも巧みに絡める久米宏さんの頭の回転の良さに感心したものでした。横山やすしさんと「TVスクランブル」で見せた漫才のような掛け合いは、今で言えばビートたけしさんと安住紳一郎アナコンビと少し似たところもあるでしょうか。

この本では、私達視聴者が表からしか見えない番組の舞台裏、番組が成功した秘話を、久米宏さん独特の軽妙な語り口でわかりやすく解説しています。いっとき降板事件などもありましたが、最終回に彼が冷蔵庫から出したビールを手酌でコップに注ぎ、自ら乾杯をしたあと一気飲みして番組が終了したシーンが非常に印象に残っていました。最近は便利なもので、その時の様子をYou Tubeにあげている方もいたりしますが、改めて見てみると、私の記憶では久米さんが一人で映っていたように思うのですが、周りには番組のキャスターや解説の方が大勢いたんですね。ニュースキャスターが番組の最後とは言え、お酒を飲むシーンをお茶の間に放送するというのは極めて異例なことですから、その時の衝撃が非常に強かったのでしょう。

番組が終了したのが2004年の3月、テレビの地上波がデジタル放送を初めたのが2003年の12月ですから、終了時点ではまだブラウン管のテレビ画面を見ていた方も大勢いたのではないかと思います。当時はテレビで見なくなった人のことをブラウン管から姿を消した人などという表現もありましたが、今ではそのブラウン管テレビ自体が姿を消しているわけですから、そういう意味ではアナログ放送やブラウン管とともに生き、ともに終了した番組とも言えるのでしょう。

本書では、アナウンサーや司会者、ニュースキャスターとしての久米宏さん自身が、どのように番組を面白くするかを考え、創意工夫してきたのかを詳細に綴っています。それまでにないものを作ると言うのは、言葉で言うのは簡単ですが、番組の成功や失敗はそれに関わる大勢の人達の命運も握っているわけで、視聴者が傍から見て、面白いだのつまらないだのと批評するのとは緊張感も責任感も変わってきます。

その一方で、旧態依然とした体制では、他の番組との差別化も出来ないため、当初他のテレビ局では手を付けなかった夜10時台というプライムタイム編成にする理由や意義も無いわけです。そういう意味では番組のみならず、テレビ朝日というテレビ局の社運をも賭けた一大プロジェクトだったことは間違いありません。特に生中継、生本番に拘った番組作りと何が起きるかわからない現場での緊張感。中学生にもわかるニュースをというコンセプトと同様、本書もまた色々なことが目の前の情景のように思い浮かべることが出来、一気に読めてしまいます。当時を懐かしいと思える人に是非おすすめです。

久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった

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