【読書感想】存在のすべてを

2024年本屋大賞第3位、塩田武士さん著の長編ミステリー小説です。著者の塩田武士さんは、1979年兵庫県尼崎市生まれ、関西学院大学を卒業後神戸新聞社に入社。その後担当した将棋記者の経験を活かして2010年、プロ棋士を目指す無職の男を新聞記者の視点で描いた『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞しています。2012年に神戸新聞社を退社して専業作家となってからは、2016年、グリコ・森永事件を題材のモチーフとした『罪の声』で第7回山田風太郎賞受賞。本作「存在のすべてを」は、第9回渡辺淳一文学賞を受賞しています。

あらすじ

平成3(1991)年に神奈川県下で発生した「二児同時誘拐事件」から30年。当時警察担当だった大日新聞記者の門田は、令和3(2021)年の旧知の刑事の死をきっかけに、誘拐事件の被害男児の「今」を知る。彼は気鋭の画家・如月脩として脚光を浴びていたが、本事件最大の謎である「空白の三年」については固く口を閉ざしていた。
異様な展開を辿った事件の真実を求め、地を這うような取材を重ねた結果、ある写実画家の存在に行き当たるが――。

ー【公式】塩田武士『存在のすべてを』9月7日発売 ー

読書感想(ネタバレあり)

上のあらすじだけ読むとたんなる推理小説のようにも感じますが、実際は人間ドラマに近い内容です。ご多分に漏れず、この作品も背景には毒親が関係していますが、それは物語の一要素ではありますが、本筋とはあまり関係がありません。もっとも推理小説の多くは、事件の裏に隠された関係者同士の確執やドラマが存在するので、これもそのうちの一つと言うことは出来るのかもしれません。

序章の誘拐事件の部分だけでもかなりスピード感のある面白い内容になっています。上にリンクした公式サイトに序章が全文公開されているので、未読の方はこの先は読まずに、そちらをお読みになることをオススメします。

第一章からは時効を迎えた誘拐事件の真相を、その後も事件を追い続けて亡くなった刑事に代わって、当時事件を担当していた新聞記者が追い求める展開です。大まかに分けると、その記者の目で事件を追う章、誘拐事件の被害者の恋人目線で語られる章、終盤になって奇しくも誘拐事件と関わることになってしまった人目線の章となっています。

全体的な傾向として、男性作家らしくガンダムや車の車種が多く登場することがあげられます。作中に何度も登場する楽曲、ジョージ・ウィンストンのLonging Love(邦題 あこがれ/愛)は、その昔トヨタのクレスタのCM曲に使われてから日本でも有名になりました。私はその頃すでに成人して、車にも非常に興味があった年代なので、この頃のトヨタのマークII三兄弟(マークII、チェイサー、クレスタ)に関しても馴染み深いものがありますが、作者さんはまだ幼少期だったでしょうから、あまりCMの印象はなかったかもしれません。いわゆるサビの部分はきっと誰しもが聞いたことがあるのではないでしょうか。

そういえば同じく作中に、松本清張原作で野村芳太郎が監督した「鬼畜」についても言及している箇所があったと思いますが(もしかすると映画ではなく原作の方に触れていたのかも知れませんが)、この映画が公開されたのは1978年ですから、作者さんはまだ生まれていなかったでしょうね。当時芥川也寸志作曲のテーマ曲をバックに流れていたCMは、それはかなりインパクトの強いものでした。

また、この小説はいわゆる逃走劇になりますので、日本の色んな場所がその舞台となっています。犯人の行方を探し求めて温泉に入るところなどは、昔流行った2時間ドラマを彷彿とさせてくれます。その分、洞爺湖のインフィニティ風呂があるホテルはどこだろうとか、余計なことを考えてもしまいますが。

最大の謎は、誘拐事件の幼い被害者が3年後に無事に発見された、というよりは自らの脚で帰ってきたことで、誘拐されてからその間誰に育てられてどういう生活を送っていたのかという点です。育てていたのが犯人なのか、それ以外の人なのか、もしそうだとしたらどうして連絡を寄越さないのか、そうした謎を追い求める過程がとても面白く、関係者それぞれの視点からの描写も見事だと思います。

ただ、空白行等で区切ってはありますが、ところどころ時間が飛ぶ箇所があり、いつの時代の話なのかしばらく読んでみてからでないとわからなかったりするのと、当時捜査線上に浮かんだ犯人と思しき人物とその弟の登場に関しては、若干突飛な印象を受けました。物語は仲の良かった刑事の遺志を半ば継いで新聞記者が事件の真相を追う展開になっています。仮に当時容疑者の一人に挙げられていたのであれば、前科もあることから、刑事が存命中にもう少し身辺調査をしていたであろうこと、そして弟の存在にも辿り着いていたのではないかという気はします。

ただ、何ものにも縛られない自由業の印象が強い画家という職業が、まるで白い巨塔のような派閥の(大学病院では医局ですが)年功序列制度に雁字搦めに縛られているとか、とても面白い発見がありました。憎むべき営利誘拐事件ではありますが、特に犠牲者が出たわけではなく、結果として被害者が救われた部分も大きいので、非常に感銘を受ける作品になっています。最後あの画家はどこへ行ったのでしょう。禁じられた遊びを思い出させるラストではありました。もしも男性だけで選んだら、これが本屋大賞になっていてもおかしくないと思わせる秀作でした。

コメント