二宮尊徳と歩きスマホと組体操

近頃JR東日本でホームからの転落事故やホーム上での接触事故などの人身事故が増えているという。その原因のひとつに歩きスマホがあると言われているが、その歩きスマホを誘発するというので昔ながらの二宮尊徳像が変わってきたらしい。

新しい尊徳像は歩きながら本を読んでいるのではなくて、切り株に腰をおろして本を読んでいる。

座ってたらたんに仕事をサボっているようにも見えるので、多くの人から異論が巻き起こっている。最近の学校や行政の傾向として、誰かが苦情を言うとたとえそれが少数意見だとしても、それに対して即座に反応してしまっていると思うことがある。多くの人がおかしいと思うことまで過剰に反応して、クレーマーの意向に沿うような結果を出すのはいかがなものか。

これと同じようなことが最近学校の体育祭で行われている組体操だ。人間ピラミッドが危険だから禁止するという。危険だから禁止という理屈はもっともなのだけれど、そもそも人間ピラミッドが危険だというのは危険な域にまでエスカレートさせてしまったからで、常識的な範囲なら特に問題は無いはずだ。

人の背中に乗る行為なのでまったく危険がないとは言えないが、それを言ったらどんなスポーツも出来なくなる。そして一方でそういう意見が出てくると、今度は有識者会議を開くという。これまたいったい誰のための議論なのかよくわからなくなってくる。より良くするための議論は悪いことじゃないと思うが、なんで職員会議や生徒総会じゃなくて有識者会議なのだろう。

その昔、徒競走で順位を付けるのは子供の心に傷をつけるから、ゴールをするときにはみんなで一緒に手を繋いでゴールしましょうみたいな風潮が芽生えたことがあったが、方向性がまるでずれているように思えてならない。

「羹に懲りて膾を吹く」という諺があるが、責任問題に及ぶのが怖くて、誰もだんだんまともな判断が出来なくなってきているように感じてしまう。ただ、そう言った土壌がクレーマーを生んでいるし、事なかれ主義を助長するのは学校教育上も決して良くないように思う。

歩きスマホを注意するのは、タバコのポイ捨てを禁止するのと同じくらいには意味があることだとは思う。けれど、二宮尊徳が座って本を読んでいる銅像になんの意味があるのだろう。最終的にこの形にしようと決めた人たちの意見を是非聞いてみたい。

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