朝霞市の少女誘拐事件で思うこと

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私がこの事件を意識するようになったのは、一昨年朝霞市を訪れた時に公民館に彼女の失踪を知らせる張り紙があったのを見てからです。その時すでに半年くらい経過していましたが、もしかすると最悪の事態もあるかもと危惧していました。ただ、かつて北朝鮮の仕業だと思われていた誘拐事件が実際には日本人が監禁していたという事件もあったことから、これも似たような事件かもしれないと思ってもいました。結果としてまさにそうだったわけですが、無事に保護されてほっと胸をなでおろしています。

しかし、今回の事件報道に違和感を感じている人も多いようですね。誘拐された少女に緊迫感が感じられないとか、その気になればいつでも逃げられたはずなのに、そうしなかったのはただの家出だろうとか、皆さん思い思いのことを言っているように感じます。

これだけの事件ですから真相を知りたいという気持ちはわかります。ただ、それは事件に関係の無い人にとってはただの好奇心でしかないだろうと思います。

もしも保護された女の子が実際には酷い目にあっていて、これまでの生々しい状況が報告されれば、それは信ぴょう性があって納得するのかもしれません。ですが、好奇の目で見られることによって利益を得る人は誰もいないのです。むしろ大勢に知られることによって、女の子のこれからの人生に大きな影を落としてしまいます。彼女の人生は、好奇心旺盛なただの野次馬のためにあるわけではありません。温かい目で見守るということは、時にその事には触れない、もしくは忘れるという場合もあるのではと思います。

親御さんの気持ちを思えば、これ以上事件のことについて赤の他人に詮索されたくはないでしょう。若い時期の空白の2年間というのはかなり大きいと思います。きっとそう簡単には埋まらないでしょう。本当に大変なのはこれからだろうと思います。お父さんお母さんには是非これからも娘さんを守って、この2年間出来なかったこと、愛情をいっぱい注いで上げて欲しいと願います。

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